滋賀県が信長の建てた安土城復元を検討しているそうです

2019年1月20日

1579年築城1582年焼失、3年間しかなかった、安土城

滋賀県近江八幡市にあった、織田信長公が築城した安土城を復元しようと、滋賀県が検討しているそうです。国の特別史跡になっておりますが、現在は石垣の一部が残るのみ。どのような城だったかという資料も乏しく、狩野永徳に描かせたとされる安土城を描いた屏風も行方不明だそうです。

安土城

安土城跡からの眺望が素晴らしい

天守からの眺めは大変すばらしいものであったそうで、信長公も天守脇からの眺望を大名や家臣に限らず、見物料を取って庶民にまで公開していたそうです。見物料金は100文、現在の価値で5,000円ほどらしいです。また、夜には城を提灯でライトアップさせて、城下町の人々を楽しませたりも。城跡からの眺めを動画にして公開されているので、以下に紹介いたします。6分30秒、眺望を映したところから動画が始まるようにしております。信長公もこのような景色を眺めておいでだったのでしょう。

【織田信長が観ていた眺望をご覧ください】 安土城

多額の費用を投資してまで、信長公が岐阜城や安土城など、多くの城を建築した理由は、経済効果を高めて、税収アップというのが大きな理由でしょう。城ができれば城下町ができます。城下町ができれば、金収入が増えます。もし復元されたら、経済効果の増大という、信長公の意思を受け継いでいただきたいものですね。

信長公の安土城建築に関与し、土木行政を受け持った竹中藤兵衛正高という家臣がおり、信長公が本能寺の変で亡くなったあと、この築城経験を活かして武士から建築業に専念したそうで、それが現在の竹中工務店となったそうです。安土城建築が、平成でも続く会社のきっかけにもなっていたのですね。

安土城を焼失させたのは織田信雄という説が有力らしいです

さて、その安土城ですが、火を放ったのは信長公の子である織田信雄というのが有力らしいです。明智勢がまだ場内に残っているのではないかと思った信雄が、安土城に火を放ったという説が有力だそうで、明智勢が城攻めで焼失させたわけではございません。築城後たった3年間だけしかなかった幻の城、確かに見てみたい気はいたします。