三国志演義で諸葛亮、関羽以上の神技を使えた周倉
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三国志演義で、赤兎馬と同じ速さで走れたという神業の持ち主
諸葛亮が風向きを自在に操れた、赤壁の戦いのエピソード、諸葛亮が数日間だけ風向きが変わるのを知っていて、それを自分の祈祷の成果と見せかけたと説明すれば、知らない人にとっては神業だろうが知っている人にすれば至極当然の出来事だろう。後に神と人々に信仰された関羽も、持ち前の武力と主への忠義を称えられたのであったものだ。だが、どうしても説明がつかない、神としか思えないような離れ業を使っていたのは実はその関羽に仕えていた周倉なのだ。
周倉は、関羽の側にいつもいるため、関羽の乗る赤兎馬と同じ速度で走っていたのだ。一日千里を駆け、三国志演義の世界では最速の赤兎馬を追いかけられる人だった。
馬を抱えて1日百里走ることができる
いつも走っている周倉を可哀そうに思った関羽が、周倉に馬を与える事にしたのだが、一日千里を駆けることができる赤兎馬に追いつける馬はいないので、一日九百里を駆ける馬を与えたそうだ。それでは1日百里離されることになるので、周倉は九百里を馬に乗り、残り百里を馬を抱えて自分で走ったそうだ。
周倉が馬を抱えて走るシーンを見られる動画 【真・三國無双8】全エンディング集【蜀編】より
周倉が速く走ることができた理由とは
その理由がまたすごい。周倉の足裏に3本の毛が生えているから。関羽から周倉を引き離すために呂蒙に買収された周倉の知人が周倉に酒を飲ませて寝ている間にその3本の毛を抜いてしまったそうだ。すると、周倉は速く走ることができなくなってしまった。よく考えたら、3本の毛が速く走ることができる秘密だったというのを知っていたという事もすごいね。
その他、周倉のすごいところ
水練も得意で、麦城の戦いでは水中に飛び込んで魏のホウ徳を生け捕りにしている。また、架空の人物にもかかわらず、墓も建てられている。
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