君主の死亡後は実の子に跡目を継がせたい
KOEI三国志をプレイしていて、曹操、孫権、劉備と後の三国時代まで残った国には実子や親族が多数登場してきて跡を継ぐ君主に困ることはありません。ですが、早い時期に滅亡してしまった勢力では、君主の死亡後はそうもいきません。実子が武将として登場してこないからです。
配下武将の中で魅力の高いものが君主と親戚でも何でもないのに跡を継いでしまう、これってプレイしていて嫌じゃないでしょうか。例えコンピューター担当の君主でも、陶謙の後は麋竺とか孫乾が継ぐっての、変じゃないでしょうか。やっぱり陶謙の後は陶謙の子が徐州の主となるべきですよね。
そこで、君主の実子でありながら武将として登録されていない人物を調べてみました。
陶謙の実子、男子2名
徐州太守として、ゲームにも登場いたします。死亡年は194年で、ゲーム開始からそんなに長く生きられません。三国志演義、正史ともに徐州を劉備に禅譲しておりますが、ゲームで劉備が助けに来てくれるとは限りません。ゲームでは、彼の死後に魅力の高い麋竺や孫乾が徐州の主となることが多いですが、やっぱり陶謙の子が継ぐのが普通でしょう。
三国志演義でも、臨終の際に劉備に対して、自分には2人の子がいるが、2人とも乱世を生き抜く程の器ではないと申しております。陶謙の2人の子の名は、陶商(トウショウ)、陶応(トウオウ)と言います。2人の名前以外の記述がさっぱりなので、何を得意として何を不得手としていたか、さっぱりわかりません。能力値は全て30から40ぐらい、魅力は君主ですから70から80ぐらいをつけておけばいいかと思います。年齢もよくわかりませんが、陶謙が14歳でその母親と結婚しておりますので、生年は150年から160年ぐらいが妥当でしょうか。
呂布の実子、男子なし
呂布の没年は199年です。最期は処刑されて自然死ではないので、ゲームではもうしばらく生きられるでしょう。三国志演義で、袁術の子の婚約者として登場した名前不明の娘が1人おりますが、男子はいないようです。最近では娘に呂玲綺という名前がゲームでは付けられており、ゲームでも登場しますね。父親譲りの武力と統率力を備えております。
さて、男子の世継がいないのならば、呂布の親族となる人物です。配下武将として登場しているのは魏続と曹豹です。呂布の妻(貂蝉じゃなく、魏氏という妻)は魏続と同族になります。また、三国志演義では、曹豹の娘も呂布は妻として迎えているようです。ゲームでは呂布の死後は張遼が跡目を継ぐことが多いです。親戚筋に継がせたいのであれば、魏続か曹豹なんですけどね。
劉繇の実子、男子3名
劉繇は揚州の牧であり、皇帝と同じ劉氏です。三国志演義では、孫策に負けるチョイ役君主って感じですね。この君主は197年没です。長子である劉基(リュウキ、184年~232年)は、新しい三国志のゲームでは登場するようになりましたね。
後に呉に仕えて、なかなかの人物ぶりを発揮しているので、決して無能ではございませんでした。他に次男として劉鑠(リュウレキ)、三男として劉尚(リュウショウ)がおります。二人はゲームには登場しませんので、登録しても良いかと思います。2人とも呉では武官として仕えていたようなので、武力と統率を50から60ぐらいにすればよいかと思います。
董卓の実子、男子2名も名前不明
董卓にも男子がおりましたが、名前が不明です。董卓の没年は192年、ゲームでは死後、董旻が跡を継ぐことが多いですね。董旻は董卓の弟です。もし董卓の子が幼少だった場合、弟が跡を継ぐというのは孫策の跡を孫権が継いだ例もあるように、全然変ではないですね。でも、董卓の子は171年生まれで成人に達していますから、やっぱり董卓の跡はその子が継ぐのが自然です。しかし、名前不明では・・・。
新しい三国志のゲームに出てくるようになった董璜は董卓の兄の子で、甥にあたります。親戚をみますと、牛輔は娘婿です。そして忘れていけないのが養子の呂布。董卓も演義では、呂布を後継ぎとするような事を言ってましたので、ゲームで董卓が死亡した後は呂布が継ぐのも選択肢のひとつかも知れませんね。