三國演義の作品別でみる貂蝉の最期の場面。董卓誅殺後?呂布処刑後?
架空人物なのに中国四大美人の一人、貂蝉の生涯
作品ごとに味のあるその死
三國演義の序盤、そして女性登場人物の中でも最大の活躍をみせるのが、中国四大美女にも数えられる貂蝉。貂蝉は、後漢の司徒、王允の養女として、登場時16歳です。董卓に仕えていた女性がモデルと言う話もありますが、完全に架空の人物です。ですから、正史三国志には登場しない、三国志演義だけに登場する人物です。
三國志演技を基にした漫画、アニメ、ドラマは日本・中国で多数あります。その作品ごとでも貂蝉の最期の場面が違います。大きく分けると、以下の2通りになるでしょう。
- 董卓誅殺を見届け、呂布が貂蝉を迎えに行くと既に自害していた最期
- 呂布が小沛で曹操に敗れて処刑された後に最後の場面を迎える
私が見てきた作品の中でも印象に残る貂蝉の最期の場面を作品ごとに紹介したいと思います。全ての作品はとても紹介しきれないので、皆様の中の最もお気に入りなシーンがないかも知れませんが、どうぞご了承ください。
横山光輝の漫画、三国志での貂蝉
最初に三国志演義に触れたのが横山光輝先生の漫画だったという人も多いのではないでしょうか。私もそうでした。その中にも貂蝉が登場していました。呂布が王允と計り、董卓を誅殺した後、貂蝉の元に駆け付ける呂布ですが、既に貂蝉は胸に刃物を刺して自害していました。美女連環の計を見事成し遂げ、満足の思いから微笑みながら死んでいた貂蝉でした。この作品では、董卓誅殺後すぐに自害した貂蝉が描かれていました。
1994年放映された中国ドラマ三國演義での貂蝉
中国での放送時には町から人が消えたとまで言われている、中国ドラマ三国志。こちらの貂蝉も、董卓誅殺後に出番が無くなりました。ただ、自害したという表記はなく、最後は貂蝉の悲しい曲が流れて、貂蝉が消えてゆくという形でした。
1982年にNHKで放送された人形劇三国志での貂蝉
NHK人形劇三国志は、私は再放送で見たのですが、こちらは多数の架空人物が登場していましたね。この人形劇での貂蝉は、董卓誅殺後に呂布の妻となりました。最期は呂布が小沛での敗戦後に処刑された後になりました。ただ、呂布を愛していたというわけではなく、本当に愛していたのは関羽でした。最期は来世では関羽と一緒になりたいというような言葉を残していました。
2010年放送されたThreeKingdomsでの貂蝉
この作品では、王允の連環の計以前にも貂蝉が登場します。董卓が洛陽から長安に強引に遷都する途中、命の危機に迫られた貂蝉を呂布が助けるシーンがあります。これが2人の出会いになりました。呂布は命の恩人という伏線がありました。後に、王允の屋敷にたびたび贈り物を届ける呂布の態度から、王允が美女連環の計を画策します。董卓誅殺後、王允は董卓の残党である李カクらの軍勢に殺害されましたが呂布と貂蝉は生き延びます。その後もたびたび登場し、呂布の最期、処刑場に向かう呂布に自らの意思で付き従う、本当に呂布を愛していた貂蝉が描かれています。しかし、曹操の命令で呂布のみが処刑、貂蝉は許昌の曹操の元に連れていかれることになります。呂布は貂蝉が生き延びられると思い、泣き叫んで共に死を願う貂蝉に笑顔をみせて死んでいったシーンでした。貂蝉の美しさに曹操が惑わされる事を疑念した荀彧が許チョと話し許チョに曹操を守るよう仕向け、許チョは貂蝉が自害しようとして七星剣を持っていたのを、曹操を殺そうとしていると思い、貂蝉を斬ります。
明代に書かれた原作、三國演義での貂蝉
施耐庵とも、羅貫中の作とも言われる、原作の三国志演義での貂蝉の最期は一体いつでしょうか。原作の三国志演義では、呂布処刑後になります。ただ、その死因は語られていないようで、物語から記述が無くなる形になります。
最後に
漫画、アニメ、ドラマによってさまざまな貂蝉の生涯のごく一部でした。史実でも、王允と呂布が計って董卓を誅殺したのは変わりませんが、ここまで見事に脚色した演義。そして現代に語り継がれるまで様々な民間伝承も生まれました。貂蝉が最初は不美人で小心者であったり、呂布が貂蝉のモデルになる女性を倭国に逃がしたり、架空の人物であるからこそ、こうあっても良いのではないかと言う作者の数だけの貂蝉と言う女性が生まれているのではないでしょうか。
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